東京高等裁判所 昭和33年(ツ)73号 判決
日常の取引において印鑑届出済の印章すなわち実印が重要視されることは多言を要しないので、実印を他人に預けるが如き場合はその他人になんらかの代理行為をなさしめるためであると推定すべきであるが、原判決の確定した事実によれば、坂口達が本件山林の売渡証書に使用した被上告人の印章は、同人の父坂口式之輔が昭和七年三月二日従前の被上告人の印鑑を改印して届出たものであり、右改印は被上告人の関知しないものであつたというのであるから、その後被上告人が右改印の事実を諒承しないかぎり坂口式之輔が改印届をした印章は被上告人の偽印といわざるをえない。しかるに右諒承の事実については原審において上告人の主張がなく、原審も認定していないのであるから、よしんば被上告人の長女で坂口達の妻であつた坂口せき(現在は飯森せき)が昭和八年春(同年四月被上告人はその妻子と共に南米ブラジルに移民した。)以来右改印届済の印章を保管所持していたとしても、その事実から直ちに被上告人が坂口せきになんらかの代理権を授与したものということはできない。しかして原判決は被上告人がその妻子と共に南米ブラジルに渡るに際し郷里にある被上告人所有の財産の管理処分を坂口達或は坂口せきに委任したことはないと認定しているのであるから、結局坂口達或は坂口せきは被上告人よりなんら代理権限を授与されたことはないものというべく、既にしかる以上は、よしんば同人等の所為等からして上告人において同人等が被上告人を代理する権限ありと信じたとしても、民法第一一〇条の適用ないことは多言を要しない。
(柳川 坂本 中村)